■レーシック情報:レーシック後には感染症に注意


■レーシック情報:レーシック後には感染症に注意ブログ:29-3-2014


終戦直後、
僕たち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。

詳しく言えば、
母とお姉さんと僕の3人で、
父親は南方戦線からまだ戻っていなかった。

当時の朝食は、
どの家もたいてい芋粥だった。

お粥の部分はお姉さんと僕が食べ、
母はいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。

まだ小さかった僕は、
母はサツマイモが好きなのだと思っていた。

そして昼のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていた僕は、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。

そうなるともう新撰組もない。
僕はあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」と母に頼むのであった。

サツマイモばかり食べている毎日なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
僕たちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。

そんなわけで、
お姉さんと僕はたまに焼芋にありつけるのだが、
母は決して焼芋を食べることはなかった。

いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつく僕たちを見てただ笑っているだけであった。

しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
食パンだって何時間も並べば買えるようになった。

やがて、父親も南方戦線から帰って来て
僕たちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。

お姉さんと僕にお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていた母。

そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかった母。
母は一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…

今年の中秋の名月の日には、
母の仏前に焼芋でも供えようかと僕は思う。

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